敗戦速報を持って現れた!?禁門の変で情報を運ぶ中岡慎太郎

禁門の変で戦った中岡慎太郎。
凛々しい鉢巻きに勇ましい鎧。刀を抜き、銃弾のなかを走る志士の姿を想像しませんか。
しかし慎太郎は、ただ戦列に加わっていただけではなかったようです。
禁門の変の前には、阿波人を名乗って中沼了三塾へ潜り込み、薩摩の動きを探る。
長州側には、日に日に悪化する京都の情勢を伝えたとされます。
そして長州軍が敗れると、今度は因州藩邸にいた長州藩士たちのもとへ現れ、久坂玄瑞や来島又兵衛らの死を報告する。
潜入調査。
情報収集。
そして戦況報告。
これは、ただの「脱藩して長州軍に加わった浪士」では、説明が足りないのでは!?
まるで諜報員。
インテリジェンス・エージェント!……と、無闇に英語で呼びたくなります。
中岡慎太郎、めちゃくちゃカッコよくないですか。
彼はいったい、どこへ現れ、何を伝えたのか。今回は、禁門の変を「情報」で駆け回った慎太郎を史料から紹介します。
■開戦前夜:天龍寺と山崎を繋いだ情報伝達
禁門の変が迫る元治元年(1864)六月。
慎太郎は、京都の長州藩邸に身を寄せていたようです 。
六月二十日の夜、藩邸にいた浪士たちに、嵯峨の天龍寺陣へ移るよう命令がありました。
慎太郎は、長州の猛将・来島又兵衛の隊へ加わります。
一方、久坂玄瑞と真木和泉が率いる「忠勇隊」は、諸藩の脱藩浪士らで構成され、山崎天王山に陣を敷いていました。
私は以前から、慎太郎がなぜ忠勇隊ではなく、来島又兵衛の「遊撃隊」にいたのか疑問でした。
どうやら慎太郎はこのとき長州藩邸にいたために、山崎の忠勇隊ではなく、天龍寺の来島隊へ加わったようです。
そんな忠勇隊士の一人に、南部興夫という人がいました。
彼は当時のことを『七生日録』に記しています。
この日記に、慎太郎がチラリと登場しました。
七月朔日
中岡天龍寺より来る。
二日
中岡、天龍寺に去る。中村円太、長州へ赴く。
本当に「チラッ」レベルの登場です。
南部さんは忠勇隊士なので、これは慎太郎が嵯峨の天龍寺から、山崎天王山の忠勇隊陣営へやって来たことを示しています。
南部さんは、慎太郎がひょっこり顔を出し、翌日帰ったことしか書いていません。
仲間の顔を見に来ただけでしょうか。
いいえ。
後年に編纂された『防長回天史』を見てみましょう。
同書によると、禁門の変直前、中岡慎太郎は天龍寺から山崎の陣営へ赴き、真木和泉・久坂玄瑞・入江九一らに、緊迫する京都情勢を報告しました。
会津藩が征長の詔を求め、
一橋慶喜が押し止めているものの、
この勢いではいつ何が起きても
おかしくない ――。
その知らせを受け、山崎陣営は対抗策を協議。
翌二日、中村円太らを山口へ急派し、長州藩世子と五卿の進発を促します。
『七生日録』にある、「中岡天龍寺より来る」「中岡、天龍寺に去る。中村円太、長州へ赴く」という簡潔すぎる記録。
『七生日録』の簡潔な記録を『防長回天史』で補うと、
こんな重大な情報伝達が行われていたようです。
南部さん、日記がシンプルすぎます。
■敗戦の「実況」:因州藩邸へ持ち込まれた速報
さあ始まりました、元治元年七月。禁門の変!
長州軍、各隊一斉に動き出します。
猛将・来島又兵衛率いる遊撃隊は、嵯峨の天龍寺から進発。
京の都を目指し、中立売門へドドドーッと押し寄せました。
……はい、実況してみました。各自、お好きなアナウンサーの声でお読みください。
さて、長州藩士・内海忠勝の記録によると、慎太郎もまた禁門の変で「実況」を報じたそうです。
ここでいう「実況」とは、スポーツ中継ではなく、実際の戦況を報告すること。
分かっています。分かっていますが、字面があまりにも現代的なので、つい実況席を設けたくなりました。
「我隊因州邸に入るや
土佐の浪士石川清之進(ママ)来り、
実況を報ずるに、
長兵大敗、久坂、寺島、入江等は
鷹司殿内にて割腹せり。
来島は銃丸胸を貫き、
中立売御門内にて即死せり。」『故内海忠勝男爵履歴抜抄』より
(石川清之助は中岡慎太郎の変名。「清之進」は誤記と思われます)
慎太郎がアナウンサーのように、朗々と戦況を実況したかは分かりません。
たぶんやってません。
しかも、その報告内容には笑う余地がありませんでした。
長州軍、大敗。
久坂玄瑞、寺島忠三郎、入江九一らは鷹司邸で自刃。
主戦派を率いた来島又兵衛も、中立売門内で銃弾を受けて戦死。
さらに慎太郎は、こう続けます。
「両軍共総督を失い、
自然軍紀紊乱し、
士気沮喪す。」
久坂・来島の両軍は総督を失い、軍紀は乱れ、士気もすっかり落ちている。
前年の八月十八日の政変で京都を追われた長州にとって、禁門の変は巻き返しを懸けた戦いでした。
絶対に負けられない。
けれど、その戦いを率いた者たちは次々と倒れ、長州軍は崩れ始めている。
これが、慎太郎の運んできた「実況」でした。
実況というより、敗戦速報です。滔々と話せるような内容ではありません。
重く、苦しく、聞く者の心を折りかねない報せでした。
■悔し涙と叱咤:絶望の中で立ち上がる奇兵隊
「遺憾限りなしとし
頗りに歎声を発しつつ、
彼は勿論佐々木男也も各自、
陣羽織を脱するに至れり。」
報告を終えた慎太郎は、悔しさをこらえきれず、深く嘆きながら、長州藩士・佐々木男也とともに陣羽織を脱ぎました。
久坂玄瑞も、来島又兵衛も失った。
戦うための装いを解いてしまうほど、目の前の敗戦は重くのしかかったのでしょう。
因州邸にいた一同にも、重い空気が広がります。
しかし、そこで立ち上がったのが奇兵隊参謀・時山直八でした。
「若し覚悟のあることならば見届すべし。
吾吾は是より両将の志を継ぎ、
国運を挽回し
藩公の正義を貫徹せしめんとす。」
久坂と来島が敗れたと聞いただけで、戦具を解くのか。
自分たちはこれから両将の志を継ぎ、長州の正義を貫くのだ――。
時山は一同を叱咤します。
とはいえ、ここはさすが参謀。気合いだけで京へ突撃するのではなく、一度天龍寺へ引き上げ、遊撃隊と合流して軍略を立て直そうと提案しました。
一同はこれに従い、因州邸を出て天龍寺へ向かいます。
慎太郎自身が兵を指揮し、戦況をひっくり返したという、分かりやすい英雄譚ではありません。
けれど、スマホどころか電話さえない時代です。
久坂玄瑞や来島又兵衛が戦死した。指揮官を失い、長州軍の戦列が崩れている。
その情報を知らないまま動けば、判断を大きく誤るかもしれません。
慎太郎は、戦場で起きたことを因州邸にいた長州藩士たちへ伝えました。
派手な武功ではありません。
けれど、誰かが情報を運ばなければ、軍は次にどう動くかさえ決められない。
地味ですけど。
……いや、これ、本当に地味って言っていいんでしょうか。
■中岡慎太郎は「伝令」だったのか?
少なくとも史料には、中岡慎太郎の役職名として「伝令」や「諜報員」、ましてや「インテリジェンス・エージェント」とは書かれていません。
そりゃそうです。最後のものなんて、私が勝手に呼んでいます。
けれど禁門の変の前から、慎太郎が薩摩の動きや京都の情勢を探り、長州側へ伝えていた様子は、
当時の人々の日記や書状、後年にまとめられた評伝や『殉難録稿』などから見えてきます。
では、慎太郎は誰かの命令を受けて動いていたのでしょうか。それとも、自分で必要だと判断したのでしょうか。
誰が慎太郎を動かしたのか分からない。
そして、彼の活動を支えた仕組みもまた、はっきりとは見えません。 ――活動資金、どこから出た?
そのあたりは、残念ながら明確には書かれていません。
長州藩や五卿から支援を受けたことも考えられますが、慎太郎が桂小五郎へ宛てた手紙には、高杉晋作から資金を出してもらったことも記されています。
脱藩浪士の活動には、当然ながらお金が必要です。しかも資金集めは、時に命がけでした。
別の脱藩浪士たちは、資金を集めようとして村人と衝突し、四人もの志士が亡くなる事件まで起こしています。
――おそろしい「四ツ塚様」のお話は、また別の機会に。
慎太郎と同じ土佐脱藩浪士・土方久元は、大正六年の龍馬・慎太郎五十年祭で、当時の若者たちにかなり辛辣な苦言を呈しています。
「今の青年は、就職先や月給ばかり気にして、
自立する気概も、国家のために身を投じる覚悟もない。
幕末の若者は、自分たちで考え、
自分たちで大事を決めて動いたものである」
――おおむね、そんな内容です。「最近の若者は」と言われる人類の歴史、長すぎる。
慎太郎もまた、日本の行く末を憂えて土佐を飛び出し、必要な人に会い、必要な情報を探し、自らの判断で動いていたのかもしれません。
正式な「伝令役」だったとは断定できません。
けれど、ただ誰かの指示を待っていた人には、どうにも見えないのです。
■まとめ:刀だけじゃない。情報でも戦う慎太郎
中岡慎太郎は、敵を斬り倒して名を上げた剣豪ではありません。
阿波人を名乗って薩摩藩士だらけの中沼了三塾へ潜り込み、その動きを探る。
京都と長州、およそ往復1,000㎞の道を何度も行き来し、京都の情勢を長州へ持ち帰る。
禁門の変が迫れば、征長の危機を山崎の陣営へ知らせる。
戦が始まれば、久坂玄瑞や来島又兵衛らの死と、崩れゆく長州軍の戦況を別の陣へ伝える。
脚を撃たれたあとでさえ、薩摩方と関係の深い佐土原藩士の旅寓へ入り、周囲の情勢を探る。
……いや、働きすぎでは?
そして慎太郎は、集めた情報を運んで終わりません。
薩摩と長州に和解の余地はないか。
薩摩・長州・土佐を結ぶことはできないか。
その力を、討幕へ向けられないか。
人に会い、情勢を探り、情報を運び、そこから次の一手を考えていきました。
派手な戦功ではありません。
けれど、この動きが長州側の判断を助け、尊王攘夷派の人々をつなぎ、のちの周旋活動へ続いていきます。
地味というより、影から歴史を動かす仕事。
暗躍。
……ほら、諜報員みたいでしょう。
刀一本で敵陣へ斬り込む勇ましさとは、また別のカッコよさ。
情報を拾い、人をつなぎ、次の局面をつくる。
インテリジェンス・エージェント!!!
無闇に英語で叫んでおります。だって中岡慎太郎、めちゃくちゃカッコいいですもの。
■まだある!中岡慎太郎の潜入&諜報シリーズ
禁門の変前後には、
慎太郎の情報探索力と胆力がビシバシ伝わるエピソードが、まだあります。
▼長州軍なのに薩摩方へ!?
禁門の変で見えた中岡慎太郎の肝っ玉
時系列では、今回の記事の続きです。
禁門の変で脚を負傷した慎太郎が向かったのは、なんと薩摩方と関係の深い佐土原藩士の旅寓。
しかも、怪我の手当を受けて終わりません。
負傷後まで抜け目のない慎太郎の動きに、私がド肝を抜かれました。
▼薩摩を調査せよ!
阿波人を詐称して中沼了三塾へ潜入した中岡慎太郎
こちらは禁門の変より前。
阿波人を名乗り、薩摩藩士だらけの中沼了三塾へ潜入した、慎太郎のスパイ大作戦です。
薩摩の動きを探り、長州へ危機を伝え、戦場では敗戦の情報を運ぶ。
元治元年の慎太郎だけで、幕末スパイ映画が一本できます。
誰か作ってください。主演は中岡慎太郎でお願いします。
読了ありがとうございます
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新しい史料、新しい史跡、そして新しい慎太郎を見逃さないために。
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