坂本龍馬ゆかりの寺田屋、ほんとは復元じゃない?伏見の幕末史跡を見てきた

京都・伏見にある寺田屋。
坂本龍馬ゆかりの史跡として有名ですが、
私はこれまで何度か訪れて――
なぜか毎回、定休日でした。
もうお登勢さんに
嫌われている可能性があります。
そんな寺田屋ですが、近年は
「現在の建物は後世の単なる復元ではない」
という研究も出ています。
今回は、寺田屋の建物をめぐる新しい研究から、
坂本龍馬、中岡慎太郎、
そして妙に気になる表札まで、
伏見の寺田屋をサクッと紹介します。
京都・伏見の寺田屋へ

寺田屋は伏見の船宿。
1862年、寺田屋に集まった
尊皇攘夷派の志士たちを、
島津久光が派遣した薩摩藩士が
鎮圧する事件が起きました。
いわゆる「寺田屋騒動」です。
そして1866年には、
坂本龍馬と三吉慎蔵が
伏見奉行の捕り方と戦った
「寺田屋遭難」も起きています。
名前がややこしいですが、
学校のテストには出ないでしょう。
でも念のため幕末が好きすぎる先生対策として、
整理しておきます。
- 1862年の薩摩藩士同士の事件
→ 寺田屋騒動- 1866年の龍馬襲撃
→ 寺田屋遭難
さて。
やたら物騒なことがおきる、
寺田屋さん。
私は何度も前まで来ているのに、
ずっと寺田屋の中に
入ったことがありませんでした。
主な原因は定休日です。
一度、入ろうとしたら
赤ちゃんだった息子が泣き叫んだので
🐭「まさか誰かが見えてる……?」
などと怖くなって
行かなかったこともありました。
今にして思えば、
万一そんな関係者👻が見えていたら、
取材すれば良かったです。
透明な人の声が聞こえるのか
分かりませんけど。
■ようやく寺田屋の中へ

そして2026年8月。
何度となく前を通り過ぎてばかりの寺田屋へ、
ついに中に入ることが出来ました。
……そして、思った以上に中が濃かった。
龍馬の弾丸跡や刀傷跡、
おりょうの風呂、
幕末志士たちの写真、
さらに売店まで見どころが多すぎです。
内部については別の記事にまとめています。
▶ 寺田屋の内部見学レポはこちら
現在の寺田屋は「後世の復元建物」ではない?

京都には平安時代や鎌倉時代など、
古い時代の建物が残っています。
では寺田屋はどうかと言うと、
従来は鳥羽・伏見の戦いで
焼失したと言われていました。
「現在の建物は後世の復元」
と説明されることが多く、
私もそう認識していました。
しかし!
2023年、新出高久氏が
その見方を再検討する論文を発表したのです。
完全焼失ではなく、旧寺田屋の部材を用いて
慶応年間に現敷地へ再建され、
その後改修された可能性が示されました。
つまり寺田屋は、
単なる後世のレプリカではない
──かもしれない。
幕末期の寺田屋につながる部分が、
今も残っている可能性があるのです。
再現でもありがたいことです。
でももしも、
坂本龍馬たちが生きた時代につながるものが
目の前に残っているとしたら、さらに嬉しい。
実は10年以上前から素通り続けていた寺田屋へ
今年になってやっと入ろうと思ったのも、
この新説を知ったことが大きいです。
ふふふ。
当時のものに触れられるかもしれないと思うと、
大いに夢とロマンがあります。
150年以上経って、
史跡の見え方が変わるってステキですね。
歴史、まだ普通に動いてる。
こういう話を知ると、
中岡慎太郎についても
「まだ知られていないことがあるんじゃないか」
と思ってしまいます。
慎太郎ランドとしては今後も、
新しい研究や史料の中から
慎太郎の知られざる一面を探していきたいところです。
トリュフを探す豚くらいの執念で。
フガフガ。
中岡慎太郎も伏見に来ていた

伏見は今でこそ、 内陸にある京都府の
一地域という感じですが、
江戸時代までは交通の要衝でした。
京都の中心部や大阪とつながる
港町として栄え、
三十石船など、たくさんの船と人が
行き交っていました。
海ではなく、川の港町です。
そのため、志士として
主に西日本を駆け巡った
中岡慎太郎も、何度となく
伏見を訪れています。
目的地というより、だいたい通過点です。
たとえば慎太郎の日記
『海西雑記』を見てみます。
「慶応元年五月二十四日/
発京、伏見一泊」
ほら、泊まっています。
このあとは淀川を下って大阪へ出て、
各地を経由しながら鹿児島へ向かっています。
薩長和解のための周旋中です。
そして改めて京都へ戻り、
さらに長州へ向かう時にも伏見を通っています。
『陸援隊始末記』をはじめ、慎太郎関係の評伝には、
「慶応元年七月二十日、
京を発つ中岡慎太郎と田中顕助を、
坂本龍馬が伏見まで見送った」
とする記述があります。
この「伏見まで見送り」に、
土佐脱藩浪士たちの友情を感じて、
私はちょっと気分がアガります。
まあ龍馬さん、見送りを口実に寺田屋の
おりょうへ 会いに行った可能性もありますが(笑)
ほかにも慶応二年二月二十九日には、
「従伏見呈書仕候」
から始まる手紙を書いています。
伏見からのお手紙。
冒頭だけ見ると旅情がありますが、
内容には「操兵修行」だの
「歩兵繰法」だの出てきて、
わりと軍事的です。
(品川弥次郎・川上操六宛)
この手紙について
『中岡慎太郎全集』の解説には、
「伏見寺田屋に休憩して
筆を執ったものと推定される」
とあります。
来てます来てます。
寺田屋の「坂本龍馬」表札が気になる
ところで寺田屋には、
昔から個人的に
気になっているものがあります。
表札です。

「寺田屋」
と並んで、
「坂本龍馬」
と書いてあります。
なにこれ二世帯住宅?
この表札、今回初めて
見つけたわけではありません。
私が初めて寺田屋を訪れたのは、
今から12年前の2014年。
当時の日記にも、しっかり書いていました。
表札には寺田屋なのに
しっかり龍馬さんの名前があって、
なんか笑ったwww龍馬さんの家じゃないし!
12年前から同じところで笑っています。
ちなみに、この日記には寺田屋について、
実際の寺田屋の横に建てられた
完全復元品なので、
元のものはほとんど無いそう。
寺田屋騒動の傷跡さえ
復元なんだとか
とも書いていました。
そう。
私自身も当時は、現在の寺田屋を
「後世に復元された建物」
だと思っていたのです。
それが12年後、新しい研究を知って、
同じ寺田屋をもう一度
見に来ることになる。
表札はほぼ変わらないのに、
こちらの寺田屋を見る目は
ずいぶん変わりました。
……まあ、
「龍馬さんの主張が激しいなw」
と思う気持ちは変わっていません。
この12年来のどうでもいいツッコミは、
ついに土佐ラジオのShortにもなりました。
寺田屋のアクセス・見学情報
寺田屋の見学情報は、以下の通りです。
所在地
〒612-8045
京都府京都市伏見区南浜町263
最寄駅
・京阪本線「中書島駅」から徒歩約5分
・近鉄京都線「桃山御陵前駅」から徒歩約10分
見学時間
10:00~16:00
(最終受付15:30)
宿泊
18:00チェックイン
9:00チェックアウト
休館日
毎週月曜日
入館料
・一般:600円
・大学生~中学生:300円
・小学生:200円
・乳幼児:見学不可
寺田屋には展示物がとても多いためか、
案内には「乳幼児・見学不可」と書かれています。
ただ、私が現地で尋ねたところ、
「抱っこして下ろさなければ、小さなお子様もいいですよ」
とのことでした。
実際、子どもが触りたくなりそうなものも
あちこちにあります。
小さなお子様と一緒に見学したい方は、
事前に確認したうえで、
館内では抱っこしておくのがよさそうです。
なお、館内は写真撮影OKでした。
ちなみに私はこれまで何度か寺田屋まで来て、
そのたび閉まっていました。
もうお登勢さんから出禁にされたのかと思いましたが、
2026年8月、ようやく入場成功。
12年越しの感動と大興奮、
そして想像以上に濃かった寺田屋内部については、
別記事の方でご覧ください。
動画でも寺田屋を紹介しています
今回紹介した寺田屋は、
土佐ラジオのShortでも取り上げています。
「寺田屋って復元じゃなかったの?」
「坂本龍馬の表札、なにこれ」
みたいな話を、
約1分40秒でサクッとまとめました。
こちらも、まさかの12年越しのネタ出しです。
京都でもっと土佐を歩くなら
寺田屋は伏見にありますが、
京都の中心部にも土佐の幕末史跡が
ぎゅっと集まっています。
寺田屋は京都駅から電車1本。
京都観光にも組み込みやすい場所です。
そして、せっかく京都まで来たなら
伏見だけで帰るのはちょっともったいない。
三条〜四条周辺には、
坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太たち
土佐人ゆかりの場所が、
びっくりするほど固まっています。
「京都観光のついでに幕末も見たい」
という人には、
かなり歩きやすいエリアです。
▼現地情報をじっくり読みたい方はこちら
▼歴史トーク&現地映像で楽しく巡りたい方はこちら
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