​中岡慎太郎と高杉晋作の島津久光襲撃計画|未遂に終わった若き日の過激エピソード

中岡慎太郎と高杉晋作の肖像写真を使い、島津久光襲撃計画と未遂に終わった若き日の過激エピソードを紹介するアイキャッチ画像

中岡慎太郎といえば、冷静沈着に薩長を繋いだ「周旋家
それとも、幕府を震え上がらせた「討幕派の急先鋒」。

​皆さんは、どちらのイメージが強いですか?
私は断然、冷静な周旋家としての慎太郎に惹かれます!

​……けれど、元治元年(1864年)。
まだ脱藩して間もない慎太郎には、驚くほど尖った、危うい一面がありました。

​その象徴とも言えるのが、
長州の劇薬・高杉晋作と共に練り上げた島津久光襲撃計画です。

​当時、幕末の「四賢公」の一人と称えられた薩摩の国父・島津久光。
そんな雲の上の存在を狙おうとした、幕末を震撼させかねない暴挙でした。

結局、この計画は実行されず「未遂」に終わりますが、その舞台裏には、高杉晋作との意外な親交や、
後の「結ぶ人」へと覚醒する前の、生々しい慎太郎の姿が刻まれていました。

​教科書には載らない、若き志士たちの「熱すぎる一夜」。
まずは、その緊迫した空気をマンガで体感してください!

まずはマンガで読む|中岡慎太郎と高杉晋作の島津久光襲撃計画

元治元年の京都で、中岡慎太郎が長州藩邸に潜伏し、島津久光襲撃計画に高杉晋作が加わる様子を描いたマンガ
中岡慎太郎と高杉晋作が島津久光襲撃の機会をうかがうも未遂に終わり、慎太郎が後に結ぶ人物へ変わっていく様子を描いたマンガ
高杉晋作と中岡慎太郎の親交をイメージしたアニメ風イラスト。慎太郎は晋作の漢詩を扇子に書き写して大切に持っていたといわれます。

​殺伐とした時代、晋作は年上の慎太郎を変名(石川清之助)から「石兄」と呼び、
慎太郎は晋作の漢詩を扇子に書き写して大切に携えていました。

​二人の間にあった親交は、のちの慎太郎の長州理解や、志士たちとのつながりを考えるうえでも見逃せないものです……🐭

​なぜ二人は「国父」を狙ったのか?――計画の背景

島津久光襲撃計画を「巨大な闇を斬り裂くか」という言葉と侍のシルエットで表現した図解画像

■​長州藩邸に潜む中岡慎太郎と高杉晋作の出会い

元治元年(1864年)、脱藩の身であった慎太郎は長州で正月を迎えました。

​正月十九日、慎太郎は大きな使命を帯びて京都へ出発します。
攘夷断行を促す上奏文を提出するために上京する、三条家や三条西家の家来たちに同行したのです。

潜伏先は、河原町にある長州藩邸

そこで慎太郎は、宇都宮浪士の太田民吉(本名は広瀬精一)と共に、
ある「恐るべき計画」を練っていました。

それが、薩摩藩の国父・島津久光の襲撃です。

​そこに現れたのが、長州の風雲児・高杉晋作でした。

二月、京都へ進発しようとする来島又兵衛を抑えるために(結果的に無断で)上京していた晋作は、
慎太郎らが潜伏する長州藩邸で彼らと合流します。

■​高杉晋作がこの計画に「乗った」理由

高杉晋作が島津久光襲撃計画に乗った動機を「臆病者」の汚名返上と政治的打開から解説する図解画像

​当時の晋作は、進軍を主張する来島又兵衛らから
「臆病者」と謗られるなど、藩内で苦しい立場にありました。

そんな彼は、慎太郎たちの計画を聞き、
島津久光を討つことで以下の二つを実現できると考えたのです。

☑自らの「臆病者」という汚名を雪ぐこと
☑公武合体派の巨頭である久光を排除し、長州藩主の上京と六卿の帰京を果たすこと

​晋作が後に野山獄で記した『獄中日記』には、
当時の物騒な決意がはっきりと残っています。

『島津三郎(久光)の首を斬らねば、
 姦賊の巣穴を払い尽くし、
 雲散開発の目程これ有る間敷と申合はせぬ』

​「久光の首を斬らねば、新しい時代は開けない」──。

共通の敵を見出した慎太郎と晋作は、
京都の闇に紛れ、密かに牙を研ぎ始めました。

久坂玄瑞には言えなかった「極秘プロジェクト」

久坂玄瑞には知らされなかった島津久光襲撃計画を、公の使者と脱藩浪士の対比で解説する図解画像

この襲撃計画が興味深いのは、京都で長州藩の立場を背負って動いていた
久坂玄瑞に一切知らされていなかったことです。

​当時の久坂は、藩命を受けて京都で政治工作を行う「公の人」。

対して高杉晋作は、長州を無断で飛び出した「脱藩の身」であり、
慎太郎もまた土佐を脱藩した浪士です。

もしこの計画が露見すれば、
長州藩としての周旋や交渉にも大きな影響が及びかねない。

そう考えた慎太郎、晋作、そして太田民吉の3人は、久坂の目を盗んで密かに計画を練り上げました。

■​突然の幕切れ。「君は帰れ、あとは俺たちがやる」

中岡慎太郎たちが高杉晋作に長州への帰国を促し、島津久光襲撃計画が未遂に終わる場面を表した図解画像

しかし、密かに牙を研ぐ彼らの計画は、思わぬ形で動きを止めます。
久光襲撃計画が長州側に露見したことで、久坂玄瑞は急ぎ帰国を決意。

奸賊(かんぞく)の巣穴を払い尽くし、この国の曇り空を晴らしてみせる――。

​そんな激しい渇望を胸に秘めていた中、
慎太郎たちは、断腸の思いで晋作を送り出す決意を固めます。

「久光を斬ることは、僕たちが必ず成し遂げる。
 だから、君は長州に戻り、国のために尽力してくれ」

​慎太郎たちのこの言葉に、晋作はやむなく承諾。
久坂らと共に長州へ引き上げることとなりました。

​三月二十九日、萩に到着した晋作を待っていたのは、
脱藩の罪による「野山獄」への投獄。

二人の共同戦線は、ついに刀を交えることなく、未遂のまま終わりを告げたのです。

その後……慎太郎は諦めていなかった?

■​4月19日、京都を去る久光を追跡!

元治元年4月18日の島津久光の離京後、中岡慎太郎らが下坂して襲撃の機会を追った可能性を示す闇夜の追跡イメージ画像

​高杉晋作が長州へ帰国し、野山獄へ投じられてからも、
慎太郎は諦めていませんでした。

​元治元年4月18日、ついに島津久光が京都を去ります。

その翌晩、慎太郎は清岡半四郎らと共に密かに京都を離れ、
久光を追うようにして下坂しました(山本頼蔵『洛陽日記』より)。

記録に明記はされていませんが、
隙あらばその首を狙おうと、執念深く追いかけた形跡が伺えます。

​結局、厳重な警護に阻まれたのか、実行の機会は訪れないまま、
計画は完全に潰えることとなりました。

■​土佐の同志へ送った「敗北宣言」と「熱き檄文」

中岡慎太郎が土佐の同志へ送った檄文を、燃える手紙と蝋燭で表現した図解画像

​5月、慎太郎は土佐にいる同志たちへ一通の手紙(論策)を送ります。
​その内容は、京都の厳しい情勢を伝えると共に、暗に「島津久光襲撃」の失敗を告白していました。

​しかし、慎太郎はただ打ちひしがれていたわけではありません。

「今こそ同志は大挙して公武合体派を攪乱し、
 王政復古の勢いを取り戻すべきだ!」

​軍略としての危うさを孕みながらも、その剥き出しの情熱を込めた一書は、
遠く土佐にいる同志たちの心を激しく揺さぶりました。

宮地佐一郎氏も『中岡慎太郎 維新の周旋家』で、
この手紙がのちの野根山二十三士の士気鼓舞に大きく関わったと見ています。

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自分の激しい鼓舞が、土佐の同志たちの悲劇に繋がったのだとしたら──。
慎太郎はその事実を、どんな思いで抱えたのか。
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過激な計画の裏側で、実はこんなやり取りがあったかも?
慎重すぎる慎太郎と、せっかちな晋作の日常をお届けします🐭

島津久光襲撃の機会を待つ中岡慎太郎と高杉晋作を、慎太郎の慎重さと晋作の軽妙な反応で描いたオマケ4コママンガ

​まとめ:過激な失敗が「薩長同盟」へと繋がる

島津久光襲撃計画の失敗を経て、中岡慎太郎が薩摩と長州を結ぶ周旋家へ転換していく流れを示した図解画像

​高杉晋作と共に描いた、島津久光襲撃計画。
それは一見、若き志士たちの「暴発」に見えるかもしれません。

​しかし、この計画で久光を「討つ」ことに心血を注ぎ、
そして失敗した経験こそが、慎太郎の大きな転換点となりました。

「武力で排除するのではなく、互いを結びつけて時代を動かす」

​この過激なエピソードの後、
慎太郎はかつての「ターゲット」であった薩摩と、かつての「共犯者」の故郷である長州を繋ぐことになります。

​「島津三郎の首を斬らねば」と叫んだあの日があったからこそ、
後の薩長同盟、そして日本の夜明けは訪れたのかもしれません。

​■音声で聴く!「土佐ラジオ10-2」でも過激な慎太郎を絶賛配信中🎧

​今回の島津久光襲撃計画は、「土佐ラジオ10-2」の放送内で
サラッと触れたエピソードをギュッと深掘りしたものです。

ラジオでは、「元治元年の過激すぎる中岡慎太郎」の話を始め、
脱藩後の知られざる慎太郎の人生を、さらに臨場感たっぷりに語っています!

記事のマンガと合わせて聴くと、より幕末の空気感がリアルに伝わりますよ。
ぜひ合わせてチェックしてみてくださいね!

📻 [土佐ラジオ10-2:元治元年の過激な慎太郎の回を聴く]

​■あわせて読みたい!「元治元年の過激な慎太郎」補完計画

​今回の襲撃失敗の後、慎太郎の「過激な1年」はまだまだ終わりません!
この記事と合わせて読むことで、周旋家へと脱皮していく慎太郎のドラマが繋がる関連記事を、ただいま鋭意執筆中です。
どうぞお楽しみに!

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