【マンガ有】酔える容堂に直言した中岡慎太郎の誠。龍馬も憧れた「南北朝」への魂のバトン

幕末という激動の時代。
そこには、500年も前の「南北朝時代」の影が色濃く落ちていたことをご存知でしょうか?
今回は、マンガで描く
中岡慎太郎と山内容堂の緊迫のワンシーンを入り口に、
なぜ幕末の志士たちがこれほどまでに「南北朝」に熱狂したのかを探ります。
ある者は、酔った藩主を前に命がけの諫言を行い、
ある者は、手紙の中で英雄の生き様を語り(そして豪快に書き間違え)、
志士たちはみな、遥か昔の忠臣たちに自分たちの姿を重ねていました。
慎太郎の凛々しさの裏に見えるあの公卿の影や、
坂本龍馬が「ねぶとの手紙」に込めた真意とは?
歴史の点と点が線でつながる、
最高にインタレスティングな「深読み」の旅へご案内します。
酔える老公に直言!中岡慎太郎と「万里小路藤房」の凛々しき重なり


【注】 この慎太郎と容堂公の逸話は、
土佐勤王党の志士たちの足跡を克明に記した
『維新土佐勤王史』に刻まれている一場面です。
一方、後半の慎太郎と龍馬の掛け合いについては、
「もし二人がこの話を語り合ったら……?」という筆者の想像(イマジネーション)を添えています。
史実とIF、両方の視点でお楽しみください!🐭💖
■文久三年二月七日、河原町土佐藩邸の緊迫
文久三年の年明け。
中岡慎太郎は、前年に「五十人組」の一員として土佐を出て以来、
江戸、水戸、そして信州を経て、激動の京都に足を踏み入れていました。
その京都・河原町の土佐藩邸には、
冷たい空気とともに張り詰めた緊張感が漂っていました。
御前へ呼び出されたのは、慎太郎をはじめ、樋口真吉、島村寿之助ら数名の志士たち。
彼らを待ち構えていたのは、既に泥酔した藩主・山内容堂でした。
「寿之助、どうして満引せんか」
年嵩の寿之助が遠慮がちに盃を空けると、老公は大喝。
一気に飲み干せと畳み掛けます。
さらに、樋口が腰に差していた「朱鞘の大刀」――それは土佐尊攘派の不退転の決意を象徴するものでしたが、
老公はそれを無作法に冷やかします。
酒席は荒れ、誰もが沈黙して平伏するしかない、最悪の空気でした。
しかし、ここで静かに、かつ力強く一歩前に踏み出したのが、二十代半ばの慎太郎でした。
■「天下の衆望に添われたく存じます」

慎太郎は、大酔した老公に向かって真っ向からこう言上しました。
「今日の老公の入京は朝野共に刮目するところでござります故、
願わくば非常の尽力を以て、天下の衆望に添われたく存じます」維新土佐勤王史より
山内容堂といえば、後に『酔えば勤王、冷めれば佐幕』と揶揄されたほどの人物。
当時は流行りの「尊皇攘夷」を掲げつつも、
本音では幕府寄りの公武合体策を推し進めているように見え、
慎太郎ら土佐勤王党の面々は、その煮え切らない態度に強い焦燥感を抱いていました。
だからこそ、滅多にないこのお目見えの機会を、慎太郎は逃しませんでした。
彼が口にした『天下の衆望』とは、朝廷や志士たちが切望する「攘夷」そのものです。
上士ならぬ、庄屋の倅という身分でしかない慎太郎にとって、酔った主君への直言はまさに命懸け。
案の定、容堂公は「余に勝って国事に尽力している者あらば、聞こうではないか」と荒れ狂いますが、
慎太郎の言葉には、おもねることのない真っ直ぐな「誠」が宿っていました。
🐭の眼:慎太郎に重なる「万里小路藤房」の影
ここで、私の個人的な見解を少し。
この時の慎太郎の姿、
南朝フリークの私にはどうしても、あの忠臣と重なって見えるのです。
それは、南北朝時代の幕開け。
鎌倉幕府を打倒し、絶頂期の中で(おっと失礼!)贅沢や独断にふけりつつあった後醍醐天皇に対し、
痛烈なまでの諫言を繰り返した万里小路藤房(までのこうじ ふじふさ)です。
『太平記』における藤房の諫言は、
もはや「言葉によるボコボコ」といっても過言ではない凄まじさ。
後醍醐天皇が大好きな私が、
「なんと恐ろしい公卿だ……(惚れた)」と心を鷲掴みにされてしまうほど、
その誠実さは鋭い刃のようでした。
実際に慎太郎がこの時、藤房を意識していたという記録はありません。
しかし、幕末の志士たちの間で、
南朝の忠臣たちは一種の「共通言語」でした。
例えば、尊王攘夷派の巨頭・真木和泉は、
尊攘派公卿である三条実美をこう評しています。
「三条公は当年わずかに二十七歳の若年ながら徳量と言い、
材識と言い、実に王佐の才を具えて、昔の藤房公にも比すべき方」
真木和泉守遺文
彼らにとって藤房公の名は、
最高の材識と誠実さを備えた人物への
「最大級の褒め言葉」だったのです。
泥酔した強烈なリーダーを前に、空気に流されず、忌憚なく一刀両断!
本人が意識していたのか知る由はありませんが、
あの瞬間の慎太郎の胸の内にあったのは、主君を正しい道へ導こうとする、
まさに500年前の「藤房公」の魂そのものだったのではないか――。
そんな風に妄想(深読み)してしまうほど、
二人の「誠」は美しく重なって見えるのです🐭💖
📹南北朝・歴史うたもチェック
・太平記、巻十三の藤房のマシンガントークならぬ、マシンガン諫言を歌にしました。
・後醍醐天皇は改元王!?万里小路藤房がきつめにツッコミます🤣
龍馬の「ねぶとの手紙」と新田義貞――「潮時」を語る天才がやらかした愛すべき誤字
中岡慎太郎が「誠実の塊」のような直言をしていた一方で、
その盟友・坂本龍馬もまた、独自の感性で「南北朝」を見つめていました。
元治元年の警告。池田屋の衝撃を前に龍馬が説いた「時期尚早」

元治元年(1864年)六月二十八日。
京都で池田屋事件が起き、
長州藩や土佐の過激派が血気盛んに暴発しようとしていた、まさにその最中です。
龍馬は乙女姉さんへ、一通の秘密の手紙を送りました。
世に言う「ねぶとの手紙」です。
「天下に事をなすものは、
ねぶと(腫れ物)もよくよく腫れずては、
針へは膿をつけもうさず候」元治元年1864年6月28日乙女宛て
腫れ物がしっかり膿む(=タイミングが熟す)前に針を刺しても意味がない。
龍馬はそう説き、今の暴発を諫めようとしました。
ここで彼が引き合いに出したのが、小野小町の雨乞い、
そして「新田義貞の稲村ヶ崎」のエピソードです。
「新田忠常」に悶える! 義貞を分析しつつ、名前を間違える龍馬の人間味
鎌倉幕府を倒す際、
稲村ヶ崎で黄金の太刀を海に投げ入れ、潮を引かせたという義貞の伝説。
龍馬は「潮が引くタイミング(潮時)を理解していたからこそ、義貞公は成功したのだ」
と、めちゃくちゃかっこいい政治的分析を披露します。
……ところが、です。
龍馬さんは、その義貞の名をこともあろうに
「新田忠常(にったただつね)」と盛大に書き間違えてしまいました!
恐らく、義貞が登場する『太平記』より一昔前、
『平家物語』の時代に活躍した仁田(にった)忠常と混ざってしまったのでしょう。
曽我兄弟の仇討ちで知られる彼と、時代を飛び越えて合体させてしまうあたり、
いかにも龍馬さんらしいダイナミックな間違いです(笑)
🎤あわせて見たい!
歴史うた「投げていいんすか、義貞さん!」では、
この稲村ヶ崎の決断シーンを楽しく学べます。
龍馬さんも間違えた(?)義貞公の勇姿を、ぜひ動画でチェックしてみてください!
黄金の太刀を捧げるという、太平記指折りのドラマチックな「名場面」を語りながら、
主役の名前を間違えてしまう。
この抜けた感じ、ファンとしてはたまらない「龍馬節」ですよね。
🐭の眼:乙女姉さんも「誤字っちゅう!」と笑ったはず

ここで思わず想像(妄想)してしまうのが、
手紙を受け取った乙女姉さんの反応です。
龍馬が「天下の事は、ねぶと(腫れ物)と同じながぜよ……」と
キリッとした顔で大真面目に論説をぶち上げているのに、肝心の英雄の名前が「忠常」。
読み進めていた乙女姉さんも、思わず「
あの子ったら、大事なところで誤字っちゅう!」と、
笑いつつも、弟の人間臭さが可愛くてたまらなかったのではないでしょうか。
報われないけれど、誠実に戦い抜いた男。
そんな新田義貞という南朝の悲劇のヒーローを敬愛していながら、ついうっかり名前を間違える。
この「知的な洞察」と「うっかりさん」の共存こそが、
坂本龍馬という男が160年経っても愛される理由なのかもしれません。
【まとめ】南北朝を知れば、幕末の解像度は爆上がりする。

今回ご紹介した二つのエピソード。
酔った容堂公を真っ向から諫めた中岡慎太郎と、
新田義貞の「潮時」を語りながら名前を間違えた坂本龍馬。
慎太郎の姿に万里小路藤房を重ねるのは当サイト独自の視点と思われますが、
幕末の志士たちが共通して抱いていた「南北朝時代の英雄たちへの深い情熱」は、
歴史を読み解く上で決して無視できない事実です。
500年離れていても、彼らは「同じ風」を見ていた
南北朝時代から幕末までの時間は、約500年。
幕末の志士たちにとって、南北朝時代は単なる教養や過去の知識ではありませんでした。
「尊皇攘夷」を掲げ、日本の行く末を案じた彼らにとって、
それは自らを突き動かす「行動原理」そのものだったのです。
例えば、慎太郎が慶応元年に記した『時勢論』の後半。
そこには何の前置きも説明もなく、さらりと「元弘(げんこう)の事柄思合せ候得者」という一節が登場します。
後醍醐天皇や万里小路藤房が生きた「元弘」という時代が、
当時の彼らにとって注釈不要の「共通言語」であったことが分かります。
また、慎太郎や龍馬は、南朝の英雄・楠木正成を祀る湊川(みなとがわ)の地を実際に訪れています。
慎太郎は慶応元年二月の日記にその参拝を書き残し、
龍馬は勝海舟と共に湊川を訪れた際、こんな和歌を詠みました。

「月と日のむかしをしのぶ湊川 流れて清き菊の下水」
彼らは、南朝の忠臣たちの中に、
自分たちが進むべき「日本の伝統と誇りを護る」ための究極の形を見出していたのです。
歴史は「点」ではなく「線」で繋がるから面白い

「幕末は好きだけど、南北朝は別に興味ない……」
もしそう思っている方がいたら、ぜひ今回の話を思い出してみてください。
・帝に容赦なく諫言するマシンガン・万里小路藤房
・おいしいところを足利尊氏に持っていかれても、健気に帝に尽くした新田義貞
・アグレッシブで欲望に忠実すぎる、高貴なる帝・後醍醐天皇
個人的には、パリピすぎた公卿・千種忠顕(ちぐさ ただあき)や、
美しすぎる最強公卿・北畠顕家(きたばたけ あきいえ)あたりも激しくおすすめです。
少し横道に逸れましたが――、
万里小路藤房の妥協なき諫言を知れば、
慎太郎の進言に宿る「誠」の重みがより鮮明になります。
新田義貞のひたむきな勤王の志を知れば、
龍馬が「潮時」を読み違えまいとした切実な覚悟が伝わってきます。
500年という長い時を隔てていても、同じ「志」を持つ者同士が魂で共鳴し合う。
この点と点が一本の線で繋がる瞬間の快感こそが、歴史を学ぶ最高の醍醐味です。
南北朝を知れば、幕末の解像度は間違いなく上がります。
1300年代の南北朝時代と、1800年代の幕末の繋がりを、2000年代の現代で楽しむ。
慎太郎や龍馬が見ていた「同じ風」を、あなたも「慎太郎ランド」で感じてみませんか?
💡合わせて読みたい慎太郎の原点
今回の話は、中岡慎太郎の「五十人組」時代のエピソードです。
志士としての原点は、この五十人組にあります。
どうぞ合わせてお読みください🐭🎶


