坂本龍馬と中岡慎太郎の誕生日を比較|2歳差?3歳差?諸説も解説

坂本龍馬と中岡慎太郎。
どちらも幕末の土佐を代表する人物ですが、
二人の人生をたどってみると、意外な違いや面白さが見えてきます!!
薩長同盟や近江屋事件でワンセットに語られがちな龍馬と慎太郎。
土佐ラジオ#10-1「龍馬と慎太郎の徹底比較編①」にあわせて、
ここから二人のいろいろな違いを楽しく比べていきます。
まず今回の記事で見るのは、二人の誕生日。
龍馬の誕生日には諸説があり、慎太郎の誕生日も証言をもとに伝わっているものです。
しかも旧暦と新暦のズレまであるので、2歳差か3歳差か問題も出てきます🐭
🎥まずは動画で見たい方はこちら
土佐ラジオでは、
龍馬と慎太郎が互いの違いを仲良く?楽しく!トークしています。
では、さっそく見ていきましょう✊🏻
坂本龍馬と中岡慎太郎、誕生日はいつ?

坂本龍馬の誕生日は、天保6年11月15日。
新暦では1836年1月3日です。
中岡慎太郎の誕生日は、天保9年4月13日。
新暦では1838年5月6日です。
幕末に活躍した人たちを見ていくと、
実はこの天保年間生まれがかなり多いんですよね。
龍馬、慎太郎以外でも、
桂小五郎(天保4年)、小松帯刀(天保6年)、
板垣退助、徳川慶喜(天保8年)、
大隈重信、後藤象二郎(天保9年)、
高杉晋作(天保10年)、
久坂玄瑞、黒田清隆(天保11年)。
天保2年には孝明天皇、
天保9年には武器商人のトーマス・グラバーも生まれています。
吉田松陰は文政13年生まれですが、この年の12月に天保へ改元しているので、
“天保元年世代”とも言えます。
こうして並べてみると、
天保生まれって幕末の主役世代なんですね。
20代、30代の同世代たちが、
あの幕末の動乱のど真ん中で命をかけていた。
天保年間って新しい時代の入口だったんだなあと胸が熱くなります。
私も天保生まれを自称したい…!!🤤
ちなみに、慎太郎が尊敬していた高杉晋作や久坂玄瑞は、
実は慎太郎より年下です。
年下を素直に「すごい」と認められるの、いいですよね。
いやでも、高杉と久坂の思想、言葉、行動力を思えば、
そりゃ敬意を抱くよねぇ……ともなります。
中岡慎太郎の誕生日
中岡慎太郎の誕生日は、天保9年4月13日。
新暦では1838年5月6日です。
この誕生日は、中岡家に奉公していた方の証言によるもので、
公的な記録で確認できるものではないそうです。
この誕生日については、別の記事で詳しく書く予定です👇
(準備中🐭4月13日に公開します🎂)
現在も中岡慎太郎の故郷・北川では、生誕を記念した行事が行われています。
2025年も中岡慎太郎館の主催で生誕祭が開かれ、生家では茶会も行われていました。
今年もあるようですよ~

なお、4月13日は旧暦です。
今の暦で言えば、5月6日生まれになります。
いずれにしても春生まれ🌸
この頃は今みたいに「4月=新学期」という感覚ではありませんが、
真面目で面倒見のいい慎太郎さんが春生まれって、
とっても“ぽい”なあと個人的には思います。
坂本龍馬の誕生日は諸説あり
坂本龍馬の誕生日と言えば、
近江屋事件のあった暗殺の日と同じ
──11月15日が有名ですね。
でも実は、この11月15日もあくまで説のひとつです。
しかも根拠として挙げられるのは、妻・おりょうの証言。
もちろん貴重な証言ではあるのですが、
それだけで「確定」と言い切れるほどの強い史料というわけではありません。
つまり、龍馬の誕生日には諸説あるんです。
よく知られている説としては、こんなものがあります。
・10月15日(坂崎紫瀾『汗血千里駒』)
・11月10日(瑞山会『維新土佐勤王史』)
・11月15日(おりょうの証言などで広まった説)
いずれも郷里の人たちによる記述や証言がもとで、
中岡慎太郎と同じく、
公的に確認できる出生記録が残っているわけではありません。
そんな「龍馬の誕生日の諸説」や、
「旧暦と新暦ってどう違うの?」という話は、
土佐ラジオ#7『龍馬の誕生日』編でも楽しく話しています👇
そもそも幕末のころは、今みたいに
「誕生日が来たら一歳年をとる」という感覚ではありませんでした。
当時は数え年が基本だったので、
誕生日そのものがきっちり記録されていないことも多いんですよね。

今のように、誕生日を基準に年齢を数える満年齢が法律で定められたのは、
明治35年(1902年)。
「年齢計算ニ関スル法律」が公布されてからのことです。
今から見ると、約125年前です。
誕生日をきちんと意識する文化って意外と最近なんだなあ……と思います。
龍馬と慎太郎は2歳差?3歳差?

土佐ラジオ#7「龍馬の誕生日編」でも紹介した通り、
明治6年から日本では今の太陽暦、いわゆる新暦が使われるようになりました。
そのため、幕末の人たちの誕生日を今の暦に直すと、
私たちの感覚とは少しズレが出ます。
ここで面白いのが龍馬さんです。
龍馬の誕生日は、旧暦では天保6年11月15日。
でも新暦に直すと、1836年1月3日になります。
一方、慎太郎は天保9年4月13日、
新暦では1838年5月6日。
なので、旧暦の年だけで見ると3歳差。
でも、今の感覚で新暦に直して見ると2歳差なんです。
これ、地味に面白いですよね。
そして史料を見たり、こうして整理していると私はめちゃくちゃ混乱します🤣
じゃあ当人たちは、この年齢差をどう意識していたのか。
……たぶん、そこまで気にしていなかったんじゃないかなあと私は思います。
そもそも当時は今みたいに誕生日を祝う習慣がありませんし、
お互いの年齢をどこまで意識していたのかも、正直よく分かりません。
ヒントを探るとしたら、当人たちの日記や書状です。
そこで平尾道雄『坂本龍馬 中岡慎太郎』で二人の手記などを確認してみたのですが、
この二人、互いについて書いている箇所は意外なくらい少ないのです。
龍馬は慶応3年6月24日の手紙で、
乙女姉さんに慎太郎のことを
「石川清之助 此人は私同よふの人」 と、
かなり簡潔に紹介しています。
また、『坂本龍馬関係文書』巻二の「雄魂姓名録」でも、
慶応3年4月のところに慎太郎の記載があります。
・「中岡之世話」で千三百両借りた
・「石川より借用」した十両
……両方ともお金借りてるの、ちょっと笑ってしまう🤣
なお、この内容は高松太郎の筆記である可能性が本書で指摘されています。
ただし、中岡慎太郎が坂本龍馬に千三百両を周旋したこと自体は、他の本でも紹介があります。
一方の慎太郎は、几帳面に日記を残しているので、
「坂本に逢ふ」
「坂本を訪ひ」
といった記述が何度も出てきます。
慶応3年1月5日には、ちょっと珍しく「坂本氏」と書いていて、
この日はさらに
「頗る快談、鶏鳴に至りて坂氏去る」 とまで記しています。
夜明けまで語り合うくらい、かなり楽しかったんでしょうね。
高杉晋作や西郷隆盛のような人でも、
慎太郎がこういうふうに「氏」を付けることはあまりないので、
この日の「坂本氏」はなんだかちょっと面白いです。
快談して機嫌よく「氏」をつけたくなったんでしょうか……?
いずれにしても、文書から伝わってくるのは、
かなり気安い関係だったんだろうな、ということです。
少なくともこの二人にとっては、
2歳か3歳かなんてあまり大きなことではなかったんじゃないかなと思います。
誕生日を比べると、二人の関係も見えてくる
こうして見ると誕生日ひとつ取っても、
坂本龍馬と中岡慎太郎には諸説があったり、
旧暦と新暦のズレもあり、思った以上に奥が深いです。
でも、2歳差か3歳差かという細かい数字よりも、
史料から伝わってくるのは、二人がかなり気安く付き合っていたらしいこと。
そう思うと、誕生日の違いを比べるだけでも、
龍馬と慎太郎という二人の関係が少し立体的に見えてくる気がします。
さあ、次回は生まれた場所の違いも見ていきましょう。
城下育ちの龍馬と、北川郷の山育ちの慎太郎。
同じ土佐でも、二人が見ていた景色はかなり違いますよ🐭🎶
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