坂本龍馬と中岡慎太郎の家族構成を比較|次男と長男、背負ったものの違いとは

坂本龍馬と中岡慎太郎。
どちらも土佐の志士ですが、家族構成を見ていくと
「似てる!」と「全然違う!」が両方あって、
これがまた面白いんです。
まずこの二人、どちらも姉が三人いる末っ子。
でも、龍馬は次男、慎太郎は待望の長男。
同じ「末っ子っぽさ」がありそうで、
家の中で背負っていたものは全然違いました🐭
この記事では、
土佐ラジオ#10-1「龍馬と慎太郎の徹底比較編①」にあわせて、
二人の家族構成を楽しく比べてみます。
🎥まずは動画で見たい方はこちら
土佐ラジオでは、龍馬と慎太郎が家族構成の違いについて、
仲良く?楽しく!トークしています。
では、さっそく家の中をのぞいてみましょう✊🏻
坂本龍馬と中岡慎太郎、家族構成はどう違う?

坂本龍馬と中岡慎太郎。
家族構成を並べてみると、
まず目につくのはどちらも姉が三人いる末っ子だということです。
龍馬さんは、兄が一人、姉が三人いる次男。
一方の慎太郎さんは、姉が三人いる長男でした。
こうして見ると、お姉さんの多い明るく華やかなおうちで、
家族に可愛がられてた末っ子同士かしら
……なんて想像しちゃいます🐭
でも、実際の立場はかなり違います。
龍馬さんは「兄がいる次男坊」。
慎太郎さんは「大庄屋を継ぐ待望の長男」。
同じ末っ子でも、
背負うものにはずいぶん差があったようです。
しかも、それぞれの家族を見ていくと、
龍馬さんの家には温かくのびやかな空気があり、
慎太郎さんの家には大庄屋としての責任や、なかなか重い事情も見えてきます。
ここからは、そんな二人の家族の違いをもう少し詳しく見ていきましょう。
中岡慎太郎の家族構成|“待ちに待った長男”

中岡慎太郎は、姉三人のあとに生まれた長男でした。
大庄屋を務める家にとっては、待ちに待った長男です。
なぜ「待ちに待った」かというと、姉しかいなかったというだけでなく、
お父さんが……かなり高齢なんですよ。
父の中岡小伝次さん。
天明元年(一七八一)生まれで、
慎太郎さんが生まれたときには数えで五十八歳。
五十八歳!!!(二回言いました)
これは現代でも、お父さんとしては高齢です。
しかも平均寿命が今よりずっと短い幕末のころの話ですから、尚更です。
しかもこの小伝次さん、
年をとっていてもヨボヨボなんかしていません。
もう隠居していてもおかしくない年齢なのに、
大庄屋として働き続けた人です。
幼い慎太郎くん(三歳)に読み書きを教えたのも
父・小伝次だったとされ、
小さいころからかなり厳格に育てられたのではないかと思います。
でも、厳しいだけの人でもありません。
非常に勤勉で、郷民のために尽くすタイプ。
飢饉のときの働きで土佐藩から褒美を受けたこともあったそうです。
つまり慎太郎さん、
かなりしっかりした父親のもとで育ったんですよね。
お父さんの教え、そして働く背中から、
“大庄屋としての生き方”をたくさん学んだことは間違いないでしょう。
母はウシ(丑/牛)。
宮地佐一郎氏の本によると、慎太郎さんが生まれたとき三十四歳だったとされます。
現・高知市の御畳瀬の出身で、
慎太郎さんが脱藩するときは、この御畳瀬を通ったとも言われています。
後妻であり、慎太郎さんが十四歳のころに病気で亡くなりました。
お母さんが少年期に亡くなっている、という点は龍馬さんとも共通しています。
当時の平均寿命を思えば珍しいことではなかったのかもしれませんが、
多感な時期に母を亡くすのはやっぱり辛かったでしょう。
……龍馬さんと、そんな話をしたことはあったのかしら🐭
また、先ほど触れた通り、
慎太郎さんには異母姉が三人いました。
長女が縫、次女が京、三女がかつです。
姉たちの年齢は、私の持つ史料には記載がありません。
小伝次さんの年齢を考えると、
慎太郎さんとはかなり離れていた可能性もあります。
一緒に暮らしていた時期もあったはずですが、
早くにお嫁に行っていた姉もいたかもしれません。
そのためか、姉たちから可愛がられた
弟らしいエピソードは見当たりませんでした。
また、龍馬さんが姉に送ったような楽しげな手紙も確認されていません。
郷民の方々の思い出話を読む限り、
慎太郎少年は非常に賢くて、勇気があって、しっかりした子だったようです。
末っ子らしさ……ゼロ🤣(私調べ)
●慎太郎を取り巻く家族には重い出来事も多かった

実は中岡家、
「待望の長男が生まれてめでたい家」ってだけではありません。
この家には、なかなか重い出来事も起きているんです。
まず、中岡家が北川郷の大庄屋を継いだのは祖父の代でした。
ところが、その後、
それまで北川郷を長く支配していた一族の一人によって、
慎太郎さんの祖父は殺害されてしまいます。
父の小伝次さんは、
この事件の煽りで一時期は庄屋職を失いました。
……遺族側なのに、あまりにも気の毒です。
北川郷に住む来助という人の日記にも、
「人に切られながら、此くの如くに残念至極とも驚くべき物なり」
と記されています。
郷民たちの思いと働きかけもあって、
その結果、中岡家は引き続き北川郷の大庄屋を務めることになります。
小伝次さんが郷に尽くす理由は、
ここにあるんでしょうね。
さらに、異母姉の三女・かつは、非常に意思の強い女性でした。
結婚にあたり「狼も出る山道を一人で歩いた者と結婚する」と言われ、
それを見事にやり遂げた逸話を持っています。
そして──その後は周囲に不義密通を疑われ、
身の潔白を示すために奈半利川へ身を投げて亡くなりました。
この奈半利川は、慎太郎少年も飛び込んで遊んだ思い出の川でした。
この奈半利川については、こちらの記事でも触れています👇
かつさんの命を懸けたまっすぐな姿には、
中岡家に共通する心の強さを感じます。
しかも長女・縫の夫である川島総次も、
のちに野根山二十三士の一人として命を落としています。
野根山二十三士は、こちらの記事でも触れています👇
中岡家って、歴史の中では
「慎太郎さん以外は、ただ山間に住む大庄屋の家だった」と
見過ごされてしまうかもしれません。
逆恨みで命を落とした祖父。
家の役目を背負い続けた父。
命をかけて誇りを守った姉。
幕末の動乱に消えた義兄。
でもこうして見ると、一人ひとりに生き様があります。
慎太郎さんも真面目で責任感が強く、
折れない志を持っていると感じますが、
その強さって、本人の資質だけじゃなく、
中岡家のもつ空気にずいぶん鍛えられたものなんじゃないでしょうか。
●坂本龍馬の家族構成|次男坊、でも気楽なだけではない

一方の坂本龍馬は、
兄が一人、姉が三人いる家の次男でした。
父は直足、母は幸。
兄は権平、姉は千鶴・栄・乙女です。
龍馬さんにはしっかり者の兄がいて、裕福な家の次男坊。
これは……婚活市場的にすごい優良物件じゃありませんか!?🤣
私は、松平春嶽や小松帯刀から莫大な金額を借りたり、
幕臣の勝海舟から可愛がられたりしていた龍馬さんのことを、
甘え上手な末っ子らしい人だと見ています🐭
私が感じる龍馬さんの末っ子らしさや、
世間で言われる“野生児”っぽい自由奔放さ。
あれは坂本家にある“あたたかさ”と“豊かさ”に、
かなり支えられているように思えるんです。
慎太郎さんのように、
最初から家を継ぐことを強く期待された立場とは違いますね。
……とはいえ、龍馬さんも本当に
“気楽な次男坊”で終わるわけではありません。
というのも、兄・権平とは二十二歳も年が離れているんですよね。
親子並です。
ここまで離れていると、
単純に「兄がいるから自分は関係ない」とは
言い切れないものがあったようです。
脱藩後しばらくの龍馬さんの手紙には、
家の跡目に関する話が見えます。
(文久三年五月十七日や八月十九日の手紙など)
「自分が四十歳になったら家を継ぐ」と
いうようなことも書いていて、
家のことをまったく気にしていなかったわけではないと分かります。
のちにこの後継問題は解消していくようですが、
少なくとも若いころの龍馬さんにとって、
家のことが完全に他人事だったわけではなさそうです。
つまり龍馬さんは、確かに兄のいる次男坊。
でもその立場は、ただ気ままで自由、という一言では
片づけられないんですよね。
慎太郎さんのような「待望の長男」とは重みの種類が違うけれど、
龍馬さんにもまた、龍馬さんなりの家の事情があったのだと思います。
●乙女姉さんとの関係に見える龍馬の家族の近さ

坂本家のあたたかさを語る上で、
やっぱり外せないのが乙女姉さんです。
乙女は龍馬さんの四歳上の姉で、
母代わりのように龍馬さんの面倒を見たと言われています。
龍馬さんの現存する手紙を見ても、
乙女姉さん宛のものはとても多く、
二人がかなり親しかったことが伝わってきます。
しかもその手紙、ただ用件だけを書いている感じではないんですよね。
「勝海舟に可愛がられてますエヘンエヘン」と自慢げに書いたり(文久三年五月十七日)、
尼さんになりたいと嘆く姉に、ずいぶん茶化した手紙を書いて、
文中に「チチリやチリチリ」と愉快なお囃子まで入れていたり(文久三年六月二十九日)、
「姉さんには分からないでしょうが」なんて
生意気な言い方をしてみたり、
かと思えば「姉さん一人くらい養うのは簡単」と
頼もしいことを書いたりしています(慶応三年六月二十四日)。
ああ、これは仲がいい姉弟だなあ……と感じます。
龍馬さんのお姉さん宛の手紙には、
「内々で見て」とか「一人で見てください」と書いてあるのに、
今やたくさんの人が読んでいます🤣
でも……乙女姉さんの気持ち、分かります。
弟からこんな可愛い手紙が来たら、一生大事にする……!!!!!!!
そのおかげで、今も私たちは龍馬さんの手紙を読むことができるんですよね。
乙女姉さん、ありがとう🐭
乙女姉さんだけでなく、
兄・権平さん宛の手紙も多く残っています。
龍馬さんの手紙に残る家族の距離感は、
坂本家の仲の良さをよく表しているように思います。
こういう家族の近さは、
慎太郎さんの家と比べると、かなり対照的でもあります。
と言うのも、中岡家は慎太郎さんから手紙を何度も受け取っていましたが、
一度も返事を書くことはなかったそうです。
松岡司氏の評伝に記載されていて、
私はそれを知ってちょっと泣けました😂
不憫でならない……!
でも、脱藩した人とあえて連絡を取らないようにする、
その真面目さもまた中岡家らしい気がします。
さて、坂本家には
和やかさを感じさせるエピソードが他にもあります。
龍馬さんの曽祖父は国学に詳しく、和歌を詠む人だったとされ、
父・直足も和歌に親しんでいたと言われています。
そんな影響もあってか、坂本家には家族で和歌を詠むような、
文化的でのびやかな空気があったようです。
坂本家のそうした空気については、こちらの記事でも少し触れています👇
(記事準備中🐭🎶)
幕末の土佐の家族…と聞くと、
つい厳格で堅い家を想像してしまいます。
でも坂本家には、もちろん身分制度の窮屈さはありつつも、
それだけじゃない明るさや温もりを感じます。
こういう家の空気の中で育ったからこそ、
龍馬さんの自由奔放さや、
相手との距離をすっと縮める感じも育っていったのかもしれません🐭🎶
同じ「姉が三人」でも、二人が背負った家族の形はかなり違う

坂本龍馬と中岡慎太郎。
どちらも姉が三人いる末っ子ですが、
家の中での立場はかなり違っていました。
龍馬さんは、兄のいる次男坊。
坂本家のあたたかさや豊かさの中で、のびやかに育った人です。
一方の慎太郎さんは、大庄屋を継ぐ待望の長男。
家の役目や責任、そして中岡家が抱えていた重い出来事の中で育っていきました。
同じ「姉が三人いる末っ子」でも、
家の空気も、背負うものも、
見えていた世界もずいぶん違ったんですね。
でも、だからこそ面白い。
こういう家族の違いを知ると、
龍馬と慎太郎の人物像がぐっと立体的に見えてきます🐭
龍馬さんは、相手が幕臣だろうが、他藩のお殿様や家老だろうが、
懐に入るのが上手な末っ子タイプ。
慎太郎さんは、朝敵になった長州や都落ちした五卿のためにも
命を賭けて奔走した、超面倒見のいい兄タイプ。
……私はそんな感じに見てます。
陸援隊に入って、
「慎太郎兄さん」もしくは「兄貴」と呼んでみたい。
呼ばせてください。
勝手に呼んでも許されますか🐭
──さて!!
次回は、そんな二人の「身分」の違いも見ていきましょう。
土佐の身分差別は他藩よりもずっと厳しいものでした。
二人はそんな土佐藩で、どんな立場にあったのでしょうか!?
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