【幕末・太宰府】中岡慎太郎ゆかり|延寿王院には入れない?五卿の足跡を巡る現地レポ

【現地レポ】福岡・太宰府の「延寿王院(五卿の滞在地)」周辺を歩き、
中岡慎太郎ゆかりの幕末スポットを写真多めでまとめました。
※延寿王院は現在“個人宅”のため、中には入れません(ここ重要!)


ごきげんよう!
中岡慎太郎の吸った空気を全て吸いたい🐭ちゅう乃です!

…一度吸った空気は二酸化炭素になってる?
いいんです。二酸化炭素でも欲しいんです!!!

さて、みなさん。
中岡慎太郎といえばどこを思い浮かべますか?

✅土佐
✅長州
✅京都

……そして、

🥳太宰府!!!!

福岡県の太宰府は、幕末の頃“維新志士の聖地”でもありました。
中岡慎太郎はもちろん、坂本龍馬、西郷隆盛、高杉晋作…そうそうたる志士たちが足を運んだ場所です。

私、自称「中岡慎太郎の残り香探し隊」として、五卿のように関西から太宰府へ行ってまいりました🫡🔥

❓延寿王院とは

太宰府天満宮境内にある延寿王院の正門。幕末に五卿が滞在し、中岡慎太郎ら志士が訪れたとされる歴史的建物

太宰府天満宮の参道を駅からまっすぐ進んだ先にある建物の名は、延寿王院(えんじゅおういん)。
学問の神様・菅原道真公を祀る神社の敷地内にあります。

ここにはかつて、尊皇攘夷派で京都にてブイブイ言わせていた5人のお公家様――「五卿」が都落ちして滞在しました。
つまり、幕末を愛する者にとっては外せない聖地✨


🌸幕末の太宰府と五卿

1863年、「八月十八日の政変」。
尊攘派の公卿は朝廷から一掃され、会津藩や薩摩藩によって京都を追われます。(七卿落ちと言われます)

味方の長州を頼った七卿は、やがて五人に減り、最終的に太宰府・延寿王院に身を寄せました。
彼らは京都から退いたものの、尊攘運動のシンボルとして志士たちの心を支え続けました。

メンバー紹介🥁

  • 🔥三条実美(さんじょう さねとみ):若きリーダー、清華家の御曹司👑
  • 🔥三条西季知(さんじょうにし すえとも):大臣家。五卿の中で、三条さんと共に正真正銘の「公卿」格。
  • 🔥四条隆謌(しじょう たかうた):南北朝時代の後醍醐天皇の側近の一人、四条隆資と同じ四条家の方🥹💖
  • 🔥東久世通禧(ひがしくぜ みちとみ)
  • 🔥壬生基修(みぶ もとおさ)

この五卿は、尊皇攘夷派の希望の星。
志士たちは太宰府を訪れ、ここから倒幕や維新の道を模索していきました。


🗻中岡慎太郎と延寿王院

八月十八日の政変は、土佐にも波及します。
土佐勤王党の弾圧が始まり、慎太郎は脱藩。

向かったのは長州!
そこで禁門の変に参戦し、浪士隊「忠勇隊」の2代目リーダーを務めるなど、炎のように活動しました🔥

そして彼は、太宰府の五卿のもとへも足繁く通いました。
尊皇攘夷派の象徴である彼らを支え、時にはお世話をしながら交流を重ねます。

この経験が、後に薩長同盟の周旋や、三条実美と岩倉具視を結ぶ役割へとつながっていく。
延寿王院はまさに、慎太郎が「周旋家」として羽ばたく起点のひとつと言えるのです。

――ってかまあ、私からすると100%慎太郎はここに来てます。
なら残り香かDNAが落ちてるはず!探しに行くしかない訳ですよ!!!!

行くしかない訳ですよ!!!!!(2回目)

✨延寿王院の感想

延寿王院の正門と境内の風景。五卿が滞在した太宰府の幕末史跡で、中岡慎太郎ゆかりの地
正門の斜めからの写真

で、行ってみたんですよ。

延寿王院は、今も個人宅。
幕末当時は三条実美の親戚の方が住んでいたことで、そこに五卿が滞在したんです。

だから――個人宅に入れるわけがない!!!🤣

延寿王院の重厚な木造門の近景。幕末期に五卿が滞在し、中岡慎太郎も訪れた太宰府の史跡
門の前には通せん棒

四方を回っても高い壁に囲まれていて、まったく見えません。

延寿王院の築地塀に見られる五本線。高貴な家格を示す意匠で、五卿滞在の歴史を今に伝える
壁に5本線

(豆知識☝)
「5本線入りの壁」は高貴な家にだけ許されるもの。
お寺やお屋敷で見かけたら、ぜひ注目してください。

延寿王院の塀越しに見える庭木と建物。幕末の志士・中岡慎太郎も歩いた太宰府のゆかりの地
左手側
延寿王院境内近くの大木と鳥居。五卿が滞在した太宰府で、幕末志士ゆかりの風景
右手側。この木は絶対に慎太郎くんも見たはずぅ🥹💖

進入禁止の延寿王院。
なんとここには、敷地内に五卿の石碑があるんです。

太宰府天満宮境内に建つ「五卿延寿院」の石碑。幕末に五卿が滞在し、中岡慎太郎ら志士が訪れた延寿王院ゆかりの史跡
ズームして撮影📸

遠目にしか見えない!!!

でも大事なのは、ここに延寿王院がある、ということ。
そして慎太郎も、龍馬も、西郷も、高杉も、この参道を歩いたという事実。

胸が熱すぎる…🥹

だから私はここに来たかった。
慎太郎が踏んだ地を、私も踏みたい。
慎太郎が見た景色を、私も見たい。

……そして。どうしてもやりたいことがありました。

画像
情報多すぎる写真🤣注目ポインツは瓶!!

🥁はいこれ!
太宰府の空気入りビン

うふふふ…ワーーッハッハッハ!!🤣
延寿王院の空気を瓶に詰めて持って帰りました!!!
はい、私の慎太郎コレクションがまた一つ増えました。

理屈じゃない。気持ちなんです。
160年経ってても関係ない
思い込みこそ正義!


🗻福岡県で行くべき中岡慎太郎ゆかりの地【太宰府&筑紫野編】

✅ 太宰府参道「松屋」(薩摩藩の定宿)

太宰府参道にある松屋の木製看板。幕末に薩摩藩の定宿とされた老舗

梅ヶ枝餅が食べられる老舗です。
延寿王院よりも、駅に近いところにあります。

太宰府参道「松屋」に展示されている薩摩屋敷定宿の木板。薩摩藩の定宿だったことを示す資料
太宰府参道の松屋店頭。梅ヶ枝餅の看板と「維新の庵」の表示が並ぶ外観
維新の庵

看板に「維新」とあり、中は「薩摩藩御用達」の案内が!西郷隆盛や大久保利通らも利用した宿でした。

松屋の庭側から見た建物外観。幕末当時の宿屋の趣を残す佇まい
庭から見た

庭に出てお店を見ると、宿屋の頃の名残が見えます。

太宰府参道・松屋でいただいた抹茶と梅ヶ枝餅。庭当時の趣を感じる和の甘味

庭も当時の趣を残し、梅ヶ枝餅にはお花が添えられるサービス🤗

【地元民・祖父情報⬇】

太宰府参道の松屋と隣接する店舗外観。松屋は幕末に薩摩藩の定宿、隣は長州藩の定宿と伝わる建物
手前が長州、奥が薩摩藩の「松屋」さん

松屋さんの隣は長州藩の定宿だったらしいです。
証拠はないけど、外観を見れば「あ〜なるほど」って感じ。

慎太郎も顔を出していた可能性、大いにアリ!?

慎太郎く〜ん!あ〜そぼ!!!!!🐭(小学生)


✅ 二日市温泉・湯町

福岡県・二日市温泉にある三条実美の歌碑。幕末に太宰府へ滞在した五卿ゆかりの史跡
三条実美の歌碑

松岡司先生の中岡慎太郎本によれば、太宰府滞在中の慎太郎は湯治に出かけてます。
太宰府からの湯治といえば二日市温泉♨️

福岡県筑紫野市の二日市温泉・湯町。中岡慎太郎が日記に「湯町」と記した滞在地
小さいながらも歴史深い場所です

ここには五卿の歌碑もあり、志士たちも訪れました。
たぶん慎太郎も入ったはず。

筑前出身・地元民であるわたくしも幼児期に入った温泉。
もうこれは混浴ですわガハハ('ω')ハハハ


✅ 月形洗蔵幽閉の地

福岡県筑紫野市にある月形洗蔵幽閉の地の石碑。筑前勤王党の月形洗蔵が幽閉された場所
「参勤交代止めましょ」って言ったらブチ込まれた


筑前勤王党リーダー的存在・月形洗蔵が幽閉された場所。
二日市温泉のすぐそばです。

福岡県筑紫野市の月形洗蔵幽閉の地。田園風景の中に建つ幕末史跡の石碑
たぶん当時も何も無いカナ

今も本当に何もない🤣
でもここから薩長同盟の種が芽生えていきます。

月形洗蔵幽閉の地の説明板。筑前勤王党や幕末の経緯が記された案内板
松尾さんが月形にも五卿にも優しかったとか

(祖父情報☝)
月形を預かった家の方々は好意的で、仲間の志士も訪れていたらしいです。
その後赦されて歴史を動かした――筑前勤王党の熱を感じられる地です。


💖まとめ

延寿王院前の五卿延寿院石碑と太宰府の境内風景。幕末に中岡慎太郎らが訪れたとされる史跡

延寿王院に入れなくても、「ここにある」こと自体が胸アツ。
慎太郎くんがいた地を、私も踏めたことが幸せでした。

福岡に来るなら、ぜひ太宰府天満宮とセットで寄ってほしい!
(寄ると言うか、天満宮へ行けば必ず前を通ります)

志士たちの足跡を追うと、人生の幸福度が上がります🤣

また一歩、中岡慎太郎に近づいた気がする!

あぁ~~~↗↗↗
幸せ!!!!!!!!

ホーム » 慎太郎ランド資料室 » 【幕末・太宰府】中岡慎太郎ゆかり|延寿王院には入れない?五卿の足跡を巡る現地レポ

\ 最新情報をチェック /